「群馬の魚を育てる会」は昭和54年に発足してから20年以上も活動を続けてきました。 ![]() 釣りに関係した団体の多くが、発足時の熱意を持続することが出来ず、いつの間にか活動を停止したり、考え方のちょっとした異なりから 分散したりしています。 でも、「群馬の魚を育てる会」が、マンネリ化の傾向はあるもの、活動を停止することも、現在100人程の会員が拠出した資金で、 などを実施してくることが出来たのは、大勢の会員が、無理の無い範囲で、気楽にそれぞれの活動を分担してきたからです。 そして出来るだけ多くの会員に活動を分担していただくことが、これからも群馬の魚を育てる会を存続できる条件だと思います。 |
地域での放流
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会の発足
群馬の異なる地域において異なる目的で放流をしていた団体ですが、その後メンバ−が知り合った人に共通する佐藤喜治さんがいたことにより、発眼卵を共同で購入する時期を経て、活動と資金の規模的な拡大を目的に共に活動をすることになったのが当会発足の経緯です。 「育てる会」の名称が付いた団体としては「奥只見の魚を育てる会」が有名で保護水面の設定などに大きな成果を残していますが、発足したばかりの当会も同様な趣旨で活動をするので覚えてもらいやすい名称ということで「群馬の魚を育てる会」を採用することとしました。 |
活動の内容
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会の現状
名簿掲載者は約100名いるのですが、会費を納入して下さる会員はここ数年間70名くらいで推移しています。 |
会費が1人あたり3千円で納入会員70名余りとして総額約20万円が活動を支える基本資金となっています。 その他として、平成11年度から群馬県が地域で清掃等を実施しているボランテイア団体に出している助成金も大きな活動原資となっていますし、ヤマメ発眼卵配布時の寄付などもあります。 |
ヤマメ発眼卵の配布、ヤマメとニジマスの稚魚放流、水辺の清掃活動を中心として、総会で検討し決定した活動を実施しています。 |
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前橋市内を流れる「桃の木川」を知っていますか。両側がコンクリ−ト護岸されていますが、ウグイや漁協が春先に放流したニジマスなどけっこう残り、釣りが楽しめる流れですが、年に一度河川整備か何かの関係で水がなくなって、魚もいなくなってしまうのだそうです。 この桃の木川の近くにすむ藤井重信さんが知人と資金を出し、購入したニジマス、ギンザケ、コイの成魚を昭和54年頃から数年間放流していたのが「桃の木川の魚を大きくする会」です。 |
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群馬県碓氷郡松井田町在住の柳沢政之さんが昭和53年に学校時代の先輩宅を訪れたところ、室内においてある60p水槽でヤマメが卵からふ化したばかりの状況を見ることとなりました。 ヤマメの人工採卵・受精が軌道に乗り始めた頃で、神奈川県の八丁ヤマメセンタ−と言うところが釣り雑誌「タックルボックス」の読者希望者へヤマメ発眼卵1万粒をプレゼントしたのだそうです。 この発眼卵の存在を知った柳沢さんが中学時代の友人と、地元松井田を流れる碓氷川上流で放流を始めたのが「碓氷魚の会」です。 活動は購入費用が成魚と比較して手軽な発眼卵の埋設と稚魚による放流を中心として行い、魚種はヤマメとニジマスで行っていました。 何カ所か放流をしましたが、その中心とした「碓氷湖」では素晴らしい成果が出ました。 碓氷湖には上流の沢から降下してきたヤマメが多少いたのですが、釣りの対象になるほどではなく釣り人の姿も見ることはありませんでした。しかし、碓氷魚の会が流れ込む沢でヤマメとニジマスの発眼卵埋設放流を継続したところ、放流開始2年後には大型のヤマメが釣れるとの噂が流れ、休日には岸から狙う数人の釣り人が出てきただけではなく、手漕ぎボ−トまで持ち込み、そのボ−トを湖岸に常駐し、碓氷湖の大型ヤマメを常時狙う人まで現れました。釣り方はイクラ餌を使用した誘導浮子によるもので、撒き餌もして、成果は良いときで25p〜40p位の「パ−マ−クのはっきりしたヤマメ」と「銀色が強いヤマメ(たぶんニジマス)」が30尾近くも釣れたのとことでした。 残念なことに、碓氷湖に育っていたヤマメとニジマスも昭和59年頃の堰堤工事のためか湖水を全て排出したことにより、生息していた魚類も全て流出してしまったとのことです。 |
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